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季節の始まり

今年は秋かなと思ったらすぐ冬になってしまいました。もう少し秋を楽しんでから冬を迎えた買ったのですが、こればかりは仕方有りませんね。四季折々、季節の始まりは、なぜかわくわくします。寒い冬もなかなか良いものです。肌を刺すような冷たい風が身も心も引き締めてくれます。ぴんと張り詰めた空気の中で輝く街の明かり、冴え冴えとした月の明るさ、木々も冬の風の中でしゃんと立っているように見えます。近所の神社の狛犬さん達もこの時期なぜかきりっとして見えるのが不思議です。身のまわりの物全てが冬の空気の中で凜としているのも、ちょっとした冬の楽しみでもあります。と、思いつつ毎日の最高最低気温が気になる今日この頃です。
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記紀神話「天孫降臨」

古宮での拝礼も済ませて、これから登って行きます。
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登って行く写真とともに天孫降臨の場面をお浚いしながら行くことにいたします。
天照大神は地上の国は自分の子供の天之忍穂耳命(正しくは正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命。須佐之男神との誓約で生まれた子)が治めるべき国である、と言って天之忍穂耳命を地上に降ろそうとしますが、天之忍穂耳命は地上は騒がしくて手に負えませんと言って帰って来ます。
そこで高天原の神々の合議の結果、天之忍穂耳命の弟の天菩比神(天穂日神,あめのほひのかみ)が地上の国を高天原に従わせる為に派遣されることになりますが、天菩比神は大国主神の家来になってしまい、3年たっても戻って来ませんでした。
そこでまた合議の結果今度は天若日子(あめのわかひこ)が派遣されることになります。ところが天若日子は地上に降りると美濃の国で大国主神の娘の下照姫と結婚し自分がこの国の王になってやろうと考え8年たっても戻りませんでした。
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ここで高天原の神々は天若日子の所へ使いとして雉鳴女を遣わします。雉鳴女が「あなたの使命はどうしたのです?」と天若日子を問いただすと、天若日子は弓矢で雉鳴女を射殺してしまいます。この時雉鳴女を射抜いた矢が高天原にまで達して、その矢を高産巣日神が拾いました。見るとそれは自分が天若日子に渡した矢です。
そこで高産巣日神は「天若日子が使命を忘れておらずこの矢は誰か悪者が放ったものであれば天若日子には当るな。もし天若日子の邪心があればこの矢に当れ」と言って矢を下に落しますと、見事に天若日子の胸を射抜きました。(これを還し矢といいます)
天若日子の死を嘆く下照姫の鳴き声が天上まで響くと、天若日子の父は哀れんで地上におり、馬鹿なわが子の為に葬儀の手配をしてやりました。また友人(というか下照姫の兄)の味鋤高日子根神も弔いに訪れましたが、高日子根神が天若日子とよく似た風貌であったため、まだ地上にいた天若日子の父が「私の息子が生きていた」と言って抱きついて来ました。すると味鋤高日子根神は「間違えるな」と怒って、剣を抜いて喪屋を切り倒すという一幕もありました。
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さて、高天原では次に誰を派遣するかという話になるのですが、やはり強い神でなければならないということで、建御雷之男神(たけみかづちのかみ)と経津主神(ふつぬしのかみ)が派遣されることになります。
先に派遣された神様たちに比べて、建御雷之男神と経津主神はたいへん任務に忠実でした。神は大国主神の前にズカズカと進み寄り、剣を抜いて地面に突き刺して「この国は天照大神の子が治めるべき国である。そなたの意向はどうか」と言います。すると、大国主神は、自分が答える前に息子の事代主神に尋ねるようにと言います。
そこで建御雷之男神は美保ヶ崎に行き事代主神に国譲りを迫ると、事代主神はあっさりと「承知しました」と言って家に引き篭ってしまいます。そこで建御雷之男神は再び大国主神に「他に何か言う奴はいるか?」と聞きますと、大国主神は「もう一人の息子、建御名方神にも聞いてみてくれ」と言います。
建御名方神は事代主神に比べると荒っぽい神様でした。建御雷之男神が国譲りを迫ると、建御名方神は巨大な岩を抱えて来て、力比べを挑みます。そして「どれお前の手をつかんでやる」と言って建御雷之男神の手を握ろうとすると、建御雷之男神の手はたちまち剣の刃に変化しました。建御名方神は慌てて手を引っ込めます。そして今度は建御雷之男神が「では今度は俺の番だ」と言って建御名方神の手を握ると、建御名方神の手は草にようにぎゅっと握りつぶされてしまいました。
慌てて建御名方神は逃げ出しますが、建御雷之男神も追いかけていきます。二人は追いかけっこをして、とうとう諏訪湖までやってきました。そしてもう逃げ切れないとみた建御名方神は、俺はもうこの地から出ないから殺さないでくれ、と嘆願するのです。建御雷之男神もこれで目的を達したとして、その言葉を信じ、再び大国主神の所に行って、さぁどうすると尋ねます。
すると大国主神は「二人の子供が高天原の神に従うというのであれば私も逆らわないことにしましょう。その代わり私の住む所として天の子が暮らすのと同じくらい大きな宮殿を建てて下さい。私はそこで幽界の支配者になりましょう。現世のことはあなたたちにお任せします。私の180人の子供たちも事代主神に従って貴方たちには抵抗しないでしょう」と言いました。そこで建御雷神はそのような立派な宮殿を建てさせ、高天原に復命しました。
(大国主神の子の数は古事記では180になっていますが、日本書紀では181になっています。これは諏訪湖に行ってしまった建御名方神を外して数えたもの??)
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さて、地上の国が天照大神の子に譲られることになったので、天照大神は最初の予定通り天之忍穂耳命を下らせようとしますが、この時天之忍穂耳命に子供が生まれたので、その子(天照の孫)迩迩芸命が代わって降臨することになりました。
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この迩迩芸命(正式には天迩岐志・国迩岐志・天津日高日子番能・迩迩芸命)には八尺の勾玉・鏡・草薙剣の三種の神器が渡され、天児屋命・布刀玉命・天宇受売命・伊斯許理度売命・玉祖命・思金神・手力男神・天石門別神・登由気神・天石戸別神・などの神が付きしたがって地上へと降りて行きました。
この時、道の途中に何やら見知らぬ神の姿がありました。ここで居並ぶ神たちは恐れをなして近付きたがらないのですが、天宇受売神が様子を見に行きます。そして「あなたは誰ですか?」と尋ねるとその人物は「私は国津神で猿田彦神といいます。天孫が降りて来ると聞き、道案内をする為にやってきました」と言いました。
さて、迩迩芸命が地上に降りてからある時、海岸で一人の美女に出会います。迩迩芸命が名を尋ねると「私は大山津見神の娘で木花之咲夜姫といいます」と答えました。そこで迩迩芸命は咲夜姫に結婚を申し込むのですが、咲夜姫は謹み深く「私の父に言って下さい」と答えます。
そこで迩迩芸命が大山津見神の所に行き、咲夜姫との結婚を申し込むと大山津見神は喜んで、では姉の石長姫も一緒に娶って下さいといい、たくさんの婚礼用品を添えて二人の娘を迩迩芸命の所にやりました。
ところが石長姫の方は不美人だったため、迩迩芸命は「この娘はいらない」と言って返してしまいます。すると大山祇神は「石長姫とも結婚していたら、あなたの子孫は石のように永遠の命を持っていたでしょうに。咲夜姫とだけの結婚でしたら、あなたの子孫は木の花のようにはかなく散り落ちていくでしょう」と残念そうにおっしゃいました。
さて、その咲夜姫ですが、迩迩芸命とは一度しか交わらなかったのですが、その一回の交わりだけで妊娠してしまいました。咲夜姫がそのことを告げると迩迩芸命は「たった1回交わっただけで妊娠するなんてことはありえない。それはどこか他所の男の子供ではないのか」と疑いの言葉を返します。
その言葉を不快に思った咲夜姫ですが、「これは間違いなくあなたの子供です。その証拠に私は火の中で子供を産みましょう。私が正しければ神の加護があるはずです」と言い、産気付くと家に火を付け、その中で3人の子供を産み落しました。その子供は産まれた順に、火照命・火須勢理命・火遠理命でした。
この中の火照命が別名海幸彦、火遠理命が別名山幸彦で、この二人が次の段の神話の主人公になります。
ところでこの神話は「天孫降臨」として知られるのですが、最初は「天子降臨」だったのではないかという指摘の声があります。この話が出てくる主な本は、古事記・日本書紀・万葉集なのですが、当然万葉集が一番古い資料です。そして古事記・日本書紀では確かに「天孫降臨」になっているのですが、万葉集では『日の皇子』という表現になっていて、『皇孫』ではありません。万葉集の原型が作られたのがまだ持統天皇の子供の草壁皇子が生きていた頃で、その後草壁皇子が早死にしてしまい、持統天皇は孫の軽皇子(後の文武天皇)に位を譲るべく活動していた時にこの孫に国を治めさせるという話が成立したのではないか、とすれば、非常に興味深い議論となります。
また、面白いのが最終的に大国主神の息子たちを沈黙させた神様の名前です。これが古事記では建御雷之男神になっているのですが、日本書紀では経津主神(ふつぬしのかみ)との2神になっています。
ここで経津主神はもちろん物部一族の神ですが、建御雷之男神は中臣家に関連の深い神です。つまりここで主役を演じたのが建御雷之男神なのか経津主神なのかは、非常に重大な問題を引き起こします。いやしくも天皇家が日本国土を治める元を作った神が物部一族の神なのか、それとも中臣一族に関わりのある神なのか。これも面白い話であるとともに、誰が古事記編纂の裏に居たのかということを示唆しているように思われます。
(という話が面白いのですが、建御雷神も物部一族の神だという説もあるようです。また古事記はこの2神が同じ神であるという説を採用しています。故にここでは建御雷之男神の名前だけが出てくるわけです)
なお、大国主神が国譲りの代償に建てさせた宮が現在の出雲大社であるとされています。もっとも神社というものが建築物として作られるようになったのは早くとも6世紀以降のようですので、当時の宮というのは建築物ではなく、山か島か、そのようなものが与えられたということかも知れません。またこの国譲りの際に、大国主神は巧みに、現世のことはまかせるが幽界のことは自分が管理すると宣言しており、ここから大国主神は人の心の深い部分を支配し、男女の結婚なども管理するという考え方が生まれています。神前結婚式は明治時代に始まったものですが、これを最初にやったのも出雲大社でした。
大国主神は意外と名を捨てて実を取っていたかも知れません。

着物を着た時に履く履物

現在の日本では女性の場合、着物を着た時に履く履物は草履を履くのが一般的に

定着しているのではないでしょうか。

最近では、着物を着て、草履じゃなくて下駄を履いている人をよく見かけるようになりました。

では、着物を着た時、草履なのか下駄なのか、どちらがいいのでしょうか?


そもそも下駄は、当ホームページに書いているように、ずいぶん古からの歴史があります。

草履も古くからありますが、まさかワラ草履を履いて結婚式に着物で出席する人はいないと

思います。

草履とは「わらじ」や「わら草履」といった時代劇にもよく出て着る履物で、現在の

正絹呉服を着たときに履いている草履とはまた違った履物であるということです。

現在の草履は「草履」じゃなくて、「装履」といいます。

しかもメーカーサイドでは「高級装履」と呼んでいます。

下駄が一般庶民に広く履かれるようになったのが、江戸時代です。

明治になるまでは下駄は高級履物で、維新以後、外国から入ってきた革靴と洋服

が富裕層の間に広まるのですが、日常では着物に下駄が普通の時代でした。

着物でも江戸時代から戦後昭和の20年代頃までは、綿の着物が日常の着物で、

正絹の着物は、冠婚葬祭や儀式的な時に着る、いわゆるよそ行きの着物でした。

昭和30年代は、高齢者以外、綿の着物ではなく、動きやすく着やすい現在の

服に替わってきました。それによって綿の着物は激減し、呉服といえば正絹の

高級呉服が一般的となり、お正月、入学卒業式や結婚式、お茶、お花の会などの

儀式的な服装となってきたのです。

時代とともに、儀式的な着物に下駄は不釣り合い、下駄は庶民的な印象という

イメージを持つようになり、そこで「装履」が登場することになったのです。

装履は昭和30年代頃から登場し、「振り袖」「訪問着」「留め袖」「喪服」

「おしゃれ着」などといったシチュエーションの呉服に合ったバラエティーな

高級装履が流行しました。

装履はわずか50年の歴史しかないのです。


時代の流れなのでしょうか、ここ5~6年前頃から、その高級装履から少しずつ

下駄に変わってきているような気がします。

最近の着物の、着方というか、観念というか、どう表現していいのかわかりませんが

儀式的な感覚や高級感とらわれず、もっと自由に、もっと個性的に自分を表現し、

自分なりの和装を楽しみたいと、考えている?あるいは感じている?。

そういう方々を、最近感じるようになりました。

着物を着るとき、どの着物で、どのような気分で、どこへ出かけるか?

自分はどうありたいか?、それによって下駄や装履を心して選んで履いてください!

                           12月14日


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昭和2年創業以来、80数年の経験と実績で職人手作りの厳選された
下駄・和装履物なら品質と感性豊かな物作りに自信がある「みゆき本舗」にお任せください"
http://www.miyuki-honpo.com/
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TPPどうしたものか?

最近、日本を揺るがしているのは、やはり原発問題と、

TPPではないでしょうか。

原発事故の終息はなかなか進み難いそうですが、

このままでは日本の将来が不安です。

最近のテレビで、日本の放射能汚染レベルを

日本地図で色分けされているのを見て、ぞっとしました。

東北関東のみならず、西日本の一部まで汚染が進んでいるようです。

食物による被爆が心配です。

将来、長寿国日本の座が危ぶまれるかもしれませんねえ。。。

TPPには賛否両論ですが、野田総理によって参加表明が決まりました。

アメリカの本来の目的は日本の農業ではなく、もっと深い意味での

経済と金融ではないでしょうか。

何事も交渉事、損するか得するかは、やはり政治力と外交力。

日本にそれだけの力があるでしょうか?



                         11月18日


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